岩瀬小右衛門政秀は、はじめ米沢藩の命を受けて西国などの巡察を行い、帰国後の寛文十年(一六七〇)に絵図方となった。絵図方としての仕事は、主に幕府や藩の絵図作製要請や国境などの争論など応じて測量を行い、地図を作製することであった。
また、幕府巡見使などの来藩に際した国絵図などの提出要求に対応した絵図作製も担当した。
岩瀬政秀の成果としては、幕府から作製要求があった元禄国絵図の作成、そして「米沢領国絵図」、「城絵図」及び「城下絵図」がある。
岩瀬家地図方は、岩瀬小右衛門政秀ののち、小右衛門政奥、半兵衛蕃義、池田左市政方などと続き、米沢藩の各種公用絵図の作製、絵図の改訂、絵図の保管管理などにあたり、幕末まで絶えることなく米沢藩に仕えた。
しかし、経済的には苦労があり、家督を継いだ当初は、三人扶持五石などと極めて低く、その後の恩賞などによりしだいに加増し、最終的には禄高二百石などになることを繰り返していた。
併せて、絵図方の仕事には繁閑があるため、生活が困窮するときには、鉄砲組などの業務を兼務するなどして、急場をしのいでいたようである。
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