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大畑家に伝わる才蔵の道具(橋本市観光協会HPより) |
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大畑才蔵は、寛永19年に現橋本市学文路(かむろ)に生まれた。才蔵は、幼い頃から非凡であったという。大庄屋の補佐役になったのが17歳の時、23歳のときには庄屋になるとともに郡方御用も勤めた。
54歳になっていた大畑才蔵は、地方(じかた)役人として藩内を調査し、治水計画を立てた。「水盛器(水準儀)」での高低測量などの調査結果から、各丁場ごとの必要資材や土量、必要人員を得て事業計画と経費見積もりを行い、複数工区での同時着工による工期短縮を実現し経費圧縮を実現した。
才蔵が、最後に取り掛かったのが小田井の用水工事であった。紀ノ川の北側に水を引く用水工事は、河岸段丘が続く、地形的に難しいものであったが、小河川の横断にはサイフォンあるいは筧(かけひ)の技術を取り入れ、宝永5年(1708)に第1期工事を完成させた。才蔵が地方役人を退いた後も工事は引き続き実施され1,200ヘクタールの美田が開かれた。
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